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2008年09月02日

Jumping Jack KEI  錦織圭の全米オープンの偉業

080831nishikori@USAopen.jpg8月30日、試合は大詰めの第5セット12ゲームを迎えていた。ジュースの後、3度目のマッチポイントを掴み返した錦織は、懐深く攻めてきたフェレールに勇気もって反撃した。目の醒めるようなリターンが鋭い軌跡を描き、フェレールはラケットを振ることなくポイントを失う。錦織の美しいパッシングショットだった。

しかし、そこで追い詰められたフェレールも、錦織の右深い所に強烈なクロスを2回連続入れて錦織を翻弄しようと逆襲する。だが、第4セット後に脚のマッサージを受けた錦織は機敏な動きで対応できた。米国の中継はESPN(米国のスポーツ専門局)なのか不明だが、解説者が「信じられない!」と叫んだ深いロブを錦織が返した時、彼の勝利は不動のものになった。
フェレールのリターンを待ち構えた錦織は「手が震えた」とその瞬間を語っていたが、「Air Kei」と呼ばれるジャンプして繰り出す得意の強烈なフォアハンドのストレートで3時間半の熱戦をものにした。

錦織の最後のストレートが炸裂したとき、世界ランキング4位のフェレールはただボールの軌跡を見送るだけだった。6−4、6−4、3−6、2−6、7−5という3時間32分のフルセットの激闘で、錦織がいよいよ世界の舞台に立った瞬間だった。フェレールは悔しさのあまり、ラケットをコートに叩きつけた。

▼ニューヨークの観客も錦織を応援した。


錦織の快挙にスタジアムは興奮に包まれた。それは応援に駆けつけていた在紐育日本人だけはない。スタジアムの観客はニューヨークポストが驚きをもって報じるまでもなく、18歳の錦織がハードコートで世界4位以内を破ったことが、1973年に全米オープンで世界3位のアーサー・アッシュを17歳で撃破したボルグの以来の偉業であることを分かっていたからだ。ニューヨークポストは以下のようにAPの専門記者が素晴らしいレポートを掲載した。
Nishikori upsets Ferrer to reach Open's 4th round

By HOWARD FENDRICH,
AP Tennis Writer

NEW YORK (AP) As Kei Nishikori contemplated becoming the first Japanese man to reach the U.S. Open's fourth round in the 40-year Open era, he kept repeating two phrases: "I was tired" and "I'm very happy."

Overcoming cramps that left his ankles, legs and back aching, the 126th-ranked Nishikori upset No. 4-seeded David Ferrer of Spain 6-4, 6-4, 3-6, 2-6, 7-5 Saturday night.

Only one other man from Japan reached the fourth round at any Grand Slam tournament in the Open era: Shuzo Matsuoka was a Wimbledon quarterfinalist in 1995.

"I'm very proud," Nishikori said.

The 18-year-old Nishikori is the youngest man to get this far at the U.S. Open since Marat Safin in 1998 - and the youngest man to beat one of the top-four seeded men in the hard-court major championship since a 17-year-old Bjorn Borg upset No. 3 Arthur Ashe in 1973.

Pretty heady company.

"I still can't believe it. I was playing great and he was playing great, too," Nishikori said during an on-court TV interview. "Biggest win for me."

That's for sure: Nishikori only had one other career victory over a top-20 player. That, though, came in the final of a hard-court tournament at Delray Beach, Fla., in February, when he beat James Blake.

There were significant milestones that day, too. Nishikori was the first Japanese man to win an ATP title since Matsuoka in 1992, and he was the youngest player from anywhere to win an ATP title since Lleyton Hewitt was 16 in 1998.

On Saturday, there was the matter of outlasting Ferrer, the man who eliminated Rafael Nadal at last year's U.S. Open en route to the semifinals.

Nishikori could have ended things earlier, but he wasted a two-set lead, then needed three match points to wrap up the victory. His first chance to end it came while serving for the match at 5-3 in the fifth set, but Ferrer came up with a backhand passing winner that caught the sideline. Ferrer eventually broke there.

Nishikori broke Ferrer in the final game, hitting a forehand winner down the line on the last point, before dropping his racket and flopping on his back.
Nishikori is playing in only his second career major tournament and knocked off No. 29 Juan Monaco in the first round.

"It's not a surprise," Ferrer said. "For sure, he will be a very good player, no?"
「苦しいそぶりも見せず、動きは絹のように軽やかだった」とスポーツ面のトップでNYタイムズも伝えているが、「絹のような滑らかな」という形容句は欧米の日本を褒める時の常套句である。95年、日本代表の欧州遠征で初めてウェンブレーサッカー場でイギリス代表と試合を行った時、英国メディアは山口素弘を「絹のような滑らかなパスを繰り出すボランチ」と形容していた。

9月1日(日本時間9月2日)、ベスト8を掛けてアルゼンチンの新鋭、デルポトロと闘った錦織はミスが目立ち得意のフォアハンドが決まらず、サービスゲームが取れず自滅した。完敗だった。しかし、ベスト16の成績は誇るべきものだ。1937年、南京陥落の年の全米オープンで中野文照、山岸二郎の両名が進出して以来71年ぶりの出来事だった。

それにしても、山岸ら戦前のテニスプレーヤーに大きな影響を与えた清水善造が1921年(大正10)にウインブルドンベスト4、1922年(大正11)に全米ベスト4に輝いたのは偉大だった。世界ランキング4位にまで登りつめた清水善造については、上前淳一郎氏の『やわらかなボール』というノンフィクションの名作がある。

※ブログ下部に設置していた「FRANCE24」英語放送の画面は5月23日のエントリーページに設置しています。日本のテレビだけではダメだと思っている方は、クリックすると別ウインドウが開きます。下部にある画面をご覧下さい。IEの場合、音量は右クリックで調整して下さい。ファイヤーフォックスだとコントローラーがあります。
※日刊スポーツコムに連載していた「北京五輪の透視図」はここで。
posted by Kohyu Nishimura at 12:59 | Comment(2) | TrackBack(1)
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この記事へのコメント
テニスについても的をはずさない的確な文章をお書きになるんですね。驚きました。あ、そうか、昔はスポーツライターだったんですよね。そのスポーツにしても、F1、サッカーだけでなくテニスについてもすばらしい批評が書けるんですね。
でも西村さんはスポーツはもちろん、文学、音楽、なんでも書けるんですよね。どうやったら、そういう才能が身につくのでしょうか?お時間があったら教えて下さい。
西村さんはそういう見方ができるから、政治や歴史のこともちゃんと書けるんだと素人なりに考えています。
靖国神社についての評論も良かったです。
これからも頑張って下さい。
Posted by 涼 at 2008年09月04日 17:41
涼様
久々に更新するので、コメントにお答えします。もう一月以上前のコメントに対する遅レスですが御容赦下さい。
才能なんてものはないと思っています。感動したものに素直に反応して、この感動をどうやって人に伝えたいかと考えて書いているだけです。その理由も単純で、自分一人が感動しているだけではもったいないので、多くの人と一緒ん楽しみたいというだけです。
ですから、スタジアムやホールでスポーツやコンサートをに接する時と同じだと思います。スタジアムやコンサートホール、ライブハウスの雰囲気が好きなのは、一緒に他の人と感動を共有できるからです。
ですから、拉致問題や歴史問題や政治のことで、怒りを多くの人と共有したいと思ったので2002年以降書く対象が代わったということなのです。

スポーツや文学、音楽に接する時と、政治や歴史問題に接する時と、基本的に何のスタンスも変わっていません。
問題は何が心を動かしたかということで、その何かを突き詰めることが、結果的に書くという行為になり、最近はテレビなどでの発言ということになるんです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
Posted by 西村幸祐 at 2008年10月12日 21:58
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