まず「平和憲法」という言葉を一切使わない事が改憲への最初のステップだ。占領憲法、奴隷憲法という位相を明確にしなければ、何をどう変えるのかという本質が隠蔽され欺瞞が糊塗されてしまうからだ。9条が問題になるのは当然の事で9条2項のみの削除、あるいは改訂が行われても本質的な問題は見逃されてしまう。日本国憲法がアプリオリに抱えている問題は前文に集約されるからだ。つまり、9条は前文が規定した占領憲法としてのポジショニングをそのまま反映させたものに他ならないからだ。「諸君!」2月号の「殉職----奥克彦・井ノ上正盛が向きあった『日本』」という拙文でも指摘したように、憲法前文の「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」と「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した」の部分は削除が絶対に必要となる。
「戦争の惨禍が起こる」原因を日本政府のみに限定し、「平和を愛する諸国民」という偽善と虚偽に満ちた文言を葬り去り、その偽善と虚偽を信頼しなければならない日本人という奴隷状態にノン!を叩きつけなければならない。拉致問題を解決できず、イラクで二人の外交官を亡くした根本的な理由もここにある。「日本国憲法:ミュージシャンらが条文をCD化」という記事が本質を暴露した。いったい憲法は誰のためのものなのだ? 日本人のためのものでない憲法をこれ以上生かしておく必要はない。