
防衛大学の卒業式に行ってきた。日本防衛の未来を担う士官候補生たちの凛々しい姿に深い感銘を受けて思い出したのが、「防衛大の若き獅子たち」という倉橋由美子の一文だった。倉橋氏が昭和36年(1961) 「婦人公論」10月号に発表した文章で、エッセイ集「わたしのなかのかれへ」に収録されている。倉橋氏がこの文章を書いた前年60年安保の年は、左翼勢力が戦後60年で最高の集積をした年で、明治大学仏文科在学中の倉橋由美子が「パルタイ」で衝撃のデビューをしている。このエッセイで倉橋氏は、44年前から現在でも通用する論理と鋭敏な感性で防大生を描いている。70年安保前後に、全共闘やファッションサヨクたちに倉橋由美子が人気があるのが非常に不思議だった。

「パルタイ」から「聖少女」までの前衛的な文体を、彼らは誤読しているのではないかと高校時代に思ったことがある。倉橋氏が知性に裏付けられた <防衛大学論> を書いている一方で、同世代の大江健三郎がその3年前に「女優と防衛大生」という駄文を毎日新聞に書いている。
ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている。
大江氏の恥ずかしい過去は幾らでもあるが、この文章は47年前の思想状況や社会風潮を表現しているのかも知れない。倉橋氏は学生時代の44年前に、このエッセイで大江氏を糾弾している。「恥部」の定義をした後で、彼女はこう書いた。
犯罪人をつくるのが法律であるように、恥部をつくるのは高貴な頭のほうではないかとかれらはひらきなおるかもしれません。だが現在でも、日本の進歩的な頭脳をもってみずから任じているインテリたちは、防衛大学校や自衛隊を恥部だときめて疑わないようです。かれらにとってそれはタブーなのです。この精神は、現実とつきあうことをしないで、つまりこの現実をよくも知りもしないで、ただ否定することでおのれの弱みをかばっているのかもしれません。
この文書の最後にライオンを飼育する家庭の寓話があり、息子が猛獣を飼うことに反対で、父親がこれは猛獣でなくただのライオンだと言い合っている内に、当のライオンは立派な鬣の猛獣になったと話を続け、彼女はこう結んでいる。
わたしが会った若いライオンたちは、なによりも有能な飼育者を望んでいました。つまり、政治家、そしてつまりわたしたち国民です。わたしたちはもう一度よく考えてみる必要があります。「平和」、「憲法擁護」、「再軍備反対」、「中立主義」という一連の美しいことばと、このことばが結合される過程でいつのまにか脱落してしまう「国防」ということについて。

倉橋由美子と大江健三郎のどちらの言葉が現在でも通用するだろうか? 文学としても10年後には倉橋氏しか残っていないのは自明である。そして、驚いたことに、大江氏の47年前と何一つ変わらない恥辱的な思考停止に多くのメディアが囚われている。「任官数は過去最少 防大で卒業式」という
朝日の記事を見れば、47年前の大江健三郎と何一つ変わっていないばかりか、さらに劣化していることが解る。見出しの「任官数」と記事中の「任官拒否」は全く違うもので悪質な情報操作が行われている。任官拒否者はたったの22名であり、今日の卒業式でまず初めに伝えなければならないことは、中退者という落伍者にならなかった、輝かしい士官候補生303人の晴れがましい卒業への祝意であるはずだ。防衛庁も相変わらず広報が下手で、たとえば外国の士官学校で何%が卒業でき、卒業生の内、何%が企業から獲られていくというデータも提示するべきなのだ。外国でも、特に先進国は優秀な学生である士官候補生は、企業に多く採用されている。

テレビ朝日の「報道ステーション」というプロパガンダ番組では、防大の卒業式は大きなテロップで「任官拒否22名」と出されただけで、思わず大笑いをしてしまった。そんなことより、答辞を読んだ主席(今年は女子だった)の人間文化学科の永田恵さんの「私たちは、自由と独立を守るため、危険を顧みず努力していく」という感動的な言葉を伝えたメディアはあったのだろうか? そう、自由と独立、これが日本の生命線なのだ。もう一つ印象に残ったのは、タイ、インドネシア、ベトナム、モンゴルという今後日本が連携を強化していく国からの複数の留学生たちだ。「日本の士官学校を卒業できて、本当に誇りに思う」とタイ王国士官学校からの留学生のご家族が語ってくれた。

倉橋由美子さんが44年前に看破したように、防衛大学の伝統は確実に新しい日本軍の伝統を形づくっているのではないだろうか。その一つの答えが西尾幹二氏のブログで掲載されていた番匠幸一郎一等陸佐を囲んでの講演会の模様である。一等陸佐なんて口はばったい呼び方でなく早く大佐と言いたいところだ。読みにくくなっているが、
2月26日から始まり、
昨日が最終回だった。ぜひ、全文読んでいただきたい。
学生時代に倉橋さんに一度お会いしているが、憶えていらっしゃらないだろうな。
イラクの自衛隊の活動をメディアが伝えていないが、コミュニティFM局が中心となって、サマワからの自衛隊の声を伝える運動が広がっている。ネット配信もしているので、
「サマワからこんにちは」へ、アクセスを。
(PHOTO by 西村幸祐)
posted by Kohyu Nishimura at 23:59
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オウム真理教的な構図が見えますね。つまり
10年前に流行った
「ああ言えば上祐」
思考停止な上でそんな自分を正当化しようと
詭弁してまで誤魔化そうとする。または自ら
の既得権益を守るため誤魔化しに誤魔化し
読者視聴者を欺く態度。こんな連中に限って
愛国心の本質から目をそむけ国家どころか
国民をも貶める行為をやってしまう。
すばらしい言葉ですねえ。
一方、変わり者の朝日なら
「私たちは支那・朝鮮への隷属のため、あらゆる犠牲を国民に押しつけていきます」
と言いたいところでしょう。
それに、アジア諸国の外国人留学生が立派に卒業している現状は素晴らしいけど、どこもそんなこと報道してませんね。
防衛大学って入学が難しいんでしょ。素晴らしい若者たちだと思います。
初めて知ったけど、大江健三郎って、電波だった。w
お陰さまで多くの方に、サマワの現場の声が届いたものと思います。
番組を作るパーソナリティーの神さんは防衛大学を病気療養の為
中退という経歴をお持ちですが、昨日の卒業式に関するテレビ報道をどう見たでしょう。
少なくとも私には、伝えるべき内容が違うとしか思えず、不快な思いでした。
問題なのは、どの局も同じような報道しか出来ない事ではないでしょうか?
そんな世情の中、札幌のコミュニティFM局、ラジオカロスサッポロが製作する
この「サマワからこんにちは」は異色かも知れません。
北海道の部隊はとっくに帰国したにもかかわらず放送を続ける姿勢は立派です。
イエローリボン・キャンペーンでは最後まで応援していきたいと考えています。
西村幸祐様、スタッフの皆様、そしてここにお集いの皆様。
ありがとうございました。
ノーベル賞返せるものなら返したい。
「憲法九条の会」なんかもやってるんですよね。
自称堀氏の弟子さん:
>>国家と国民どちらを優先して防衛するのか?
それを決めるのは自衛隊員ではなくて、政治家
だと思いますが。そもそも自衛隊員はそれを決め
る立場に無いですし、自衛隊員がそれを決めては
ならない、と言うのが「シビリアン・コントロー
ル」ってものですが。
もっと根源に突っ込むならば、そもそもそれを
決めるのは回りまわって我々自身の問題に帰着す
る訳ですし、(事によっては)彼らに「我々の生
活を守る為に死んでくれ」と命令する我々として
は、彼らが無駄死する可能性がより少ない装備を
与えてあげるのが我々の責務ではないですかね?
設問自体が愚劣。
じつは、産経の阿比留記者のブログからここへやってきました。じつは初めて西村さんのブログを拝見したんですが、素晴らしいですね。
2年前のこの記事に初めてたどり着き、西村さんの広範囲なジャンルへの関心とお仕事ぶり、改めて敬服しました。
少しのメッセージでもいいので、できるだけ毎日書いていただければ、と勝手なお願いをいたします。
しかし、このブログのどこかに書き、昨年も「WiLL」に拙論を寄稿しましたが、現在の防衛大学校長の五百旗頭氏は尊敬できない対象です。ところが、民主党政権に中に置いてみると、頼もしい人物に見えてくるから大変です。
それだけ、現政権がとんでもないイカサマ政権で日本を棄損し続ける権力である事が逆証明されるのでしょう。