※メモを残したのに時間がなく、UPできなかったエントリーからポストします。
11月25日、今年の憂国忌は豊島公会堂で行われた。36年前に三島由紀夫の最初の追悼集会が行われた場所だった。この日、会場には2階まで満席となる約900人が訪れた。一人の作家の死を悼む行事がこのような形で継続するのは非常に珍しい。日本最高の近代作家の一人としてノーベル賞も確実だった三島由紀夫、という文学的業績だけでは、この規模での追悼行事は続かなかったはずだ。
文武両道を標榜した三島由紀夫が文人でなく「武人」として自刃した結果、憂国忌が関係者の血の滲むような努力と献身によって36年間も支えられてきた。36年前の12月の「追悼の夕べ」は衝撃的な割腹自殺の直後であり、会場に入りきれない1万人は寒風吹き荒ぶ中、会場外から集会を見守っていた。その時、舞台裏で「追悼の夕べ」開催に奮闘していた宮崎正弘氏は日本学生新聞編集長だった。その宮崎氏は現在、押しも押されぬ中国問題の評論家として活躍されているが、氏は今年の憂国忌でも実質的な主催者だった。
昨年、12月10日に憂国忌を主催する三島由紀夫研究会の三浦重周代表が突然の自刃で諫死したことが、宮崎氏にどれだけの衝撃を与えたのか、他人は氏の胸の内を知る由もない。いつも飄々と冗談を飛ばす宮崎氏は、決して余人に氏の慟哭の深さを悟らせるような振る舞いはしないからだ。だが、宮崎氏の衝撃と諫死した三浦氏への愛惜の念の大きさは、11月に『三島由紀夫の現場』が出版されたことで明らかになっていた。
表現者の内的必然がクリエイティビティの原動力であることは間違いないが、特に『三島由紀夫の現場』は、宮崎氏にとって書かれなければならないものだった。そして、その必然性のパワーが本書の至る所で説得力に満ちた叙述に昇華している。
『豊饒の海』のラストシーン、月修寺のモデルとなった円照寺の佇まい他、数多くの名作の「現場」の空気に触れた氏は、海外にも足を伸ばし、ギリシャ、ニューヨーク、パリ、そしてインドのベナレス、タイのアジャンタ寺院と、まるで巡礼のように氏は三島由紀夫の軌跡を追う。
その結果、宮崎氏が得られたものは、三島由紀夫があまりにも巨大な精神の存在になっているという事実なのではないだろうか? 三島死後、パリでイタリアで、どのように三島の死が受容されたのかという事実すら、三島の存在が巨大な謎となって私たちに問いかけてくる刃となる。だが、宮崎氏の努力はその謎の解明に、また一歩私たちが近づく指針を示してくれるのだ。
死後36年たってますます新しくなる作家とは、一種の奇跡である。いま、彼の書を繙(ひもと)けば、今現在の日本の知識人の貧困さを改めて思い識ることになる。
その証拠が以下の映像だ。海外メディアのインタビューに答える三島由紀夫は60年代にすれば極めて流暢な完璧な英語で、日本の問題点を明らかにしているが、36年以上前に、すでに核問題や国防軍としての自衛隊と国連部隊としての自衛隊という、現行憲法下での日本と世界の関わりを冷徹な目で透視していたのだ。
Yukio Mishima Speaking In English
http://www.youtube.com/watch?v=DPAZQ6mhRcU&mode=related&search=
武士道、剣道、日本文化について語る三島由紀夫
経済的繁栄の虚妄さの裏に何があるか語っている。「楯の会」への説明は聞き逃せない。
Yukio Mishima....Rare 1969 Interview In English
http://www.youtube.com/watch?v=IasOkulcDQk&mode=related&search=
自衛隊二分論や核武装について言及している。
これらyoutubeにUPされた三島由紀夫のインタビューが、現在でも欧米人に絶賛され、畏敬されていることを日本人はもっと、もっと知らなければならない。




























それと、噂には聞いていた「文化防衛論」が文庫になったので、やっと入手できました。この本も驚くべき内容です。私にはこんな文章でしか表現できないので、西村さんの三島論を読んでみたいです。
色々、ありがとうございます。
招待のハガキがきました
改めて、ご文章拝読、涙が頬を伝わります。
9月の月命日のお墓参りは一日おくれになったのですが、それが幸いして、イタリアからのお若いご夫妻との出会いがありました。
奔馬を読んでファンになられたというその若きカメラマンは1時間近くも多摩霊園内を探しまわて、偶々私がお参りしていたので、見つけることが出来たと喜んでくださいました。
私は、宮崎 正弘先生の「三島由紀夫の現場」を携えて、実際に旅してまわっていますが、風を空気を共有することで、作品がとても身近に感じられます。
還暦を迎え、後何年かかるかわからないたびの始まりではありますが、既にインドは行きましたので、海外も含めて、できるだけ、宮崎 正弘先生のご本とともに廻ってみたいと想っています。
西村さんとはあちらこちらでおめもじしていますが、、まだお声は拝聴しておりませんねぇぇぇ