その時点で、すでに「読売は落ちた」という話を小耳に挟んだ。
ことの真偽は定かではないが、その後の公明党、民主党の反日議員による国会質問や会見でのアンチ靖国キャンペーンが始まり、同時に奥田経団連会長による靖国参拝見直し発言があり、さらに、朝日が「重鎮」と形容した(笑!都合のいいときに重鎮と持ち上げるダブルスタンダードに腹を抱えて笑った人が多いはず)首相体験者の見直し論が追い討ちを掛けた。まさに、政財界、一部メディアを挙げての靖国攻撃の狼煙が上がっていた。そんな中でも読売は決してブレていなかったのだが、いきなり転向を思わせる社説を6月4日に掲載した。
[靖国参拝問題]「国立追悼施設の建立を急げ」簡単に要約すれば、信念の伴わない靖国参拝なら小泉首相は止めてしまえ、靖国が分祀ができないというなら、A級戦犯が入らない国立の追悼施設を作れ、ということだ。どう考えても矛盾だらけで、幾通りにか解釈できる文章だ。まるで、違う人間が二人でパートに分けて書いたような文章でもある。謎の社説なのである。
小泉首相は、いったいこれまで、どのような歴史認識、歴史観に基づいて靖国神社に参拝していたのだろうか。
2日の衆院予算委員会で、小泉首相は民主党の岡田代表の質問に答弁し、極東国際軍事裁判(東京裁判)で有罪とされた、いわゆるA級戦犯について「戦争犯罪人であるという認識をしている」と述べた。“犯罪人”として認識しているのであれば、「A級戦犯」が合祀(ごうし)されている靖国神社に、参拝すべきではない。
連合国軍総司令部(GHQ)が定めた「裁判所条例」に基づく東京裁判が、国際法上妥当なものであるかどうかについては、当時から内外に疑問の声があった。インド代表のパル判事による「全員無罪」の判決書はその典型である。
フランス代表のベルナール判事や、オランダ代表のレーリンク判事も、裁判所条例の合法性や、国際法上の適用に疑問を表明した。また、サンフランシスコ講和条約発効後、いわゆるA級戦犯の刑死は国内法上は「公務死」の扱いにされた。
「A級戦犯」として禁固7年とされた重光葵氏は、戦後、鳩山内閣の副総理・外相となった。終身刑「A級戦犯」だった賀屋興宣氏は、池田内閣の法相を務めている。言うなれば“犯罪人”が法の番人になったわけである。
しかし、「A級戦犯」が閣僚として、“名誉回復”されたことについて、諸外国からとりたてて異議はなかった。
そうした歴史的経緯から、いわゆるA級戦犯は、「戦争責任者」ではあっても“犯罪人”ではない、とする議論も根強くある。
いわゆるA級戦犯が、靖国神社に合祀されたのは1978年のことである。翌79年に、そのことが明らかになるが、当時の大平首相、次の鈴木首相は、従来通り、靖国神社に参拝している。
大平首相は「A級戦犯あるいは大東亜戦争というものについての審判は、歴史が致すであろうと私は考えております」として、いわゆるA級戦犯が“犯罪人”であるかどうかについての認識表明は留保した。小泉首相は、岡田代表の質問に答える中で「首相の職務として参拝しているものではない。私の信条から発する参拝」と述べ、私人として参拝しているとの立場を表明した。私的参拝であるなら、参拝の方法も考えるべきではないか。昇殿し、「内閣総理大臣」と記帳するのは、私的参拝としては問題がある。
公的、私的の区別については、三木首相が1975年に参拝した際に「私人」と言って以来、関心の対象となったが、その後の首相は、概(おおむ)ね公私の区別について、あいまいにしていた。鈴木首相の時代には、公私の区別についての質問には答えないという方針を打ち出している。
しかし、小泉首相のようにはっきりと「首相の職務として参拝しているものではない」と言うなら、話は別である。首相の靖国参拝を巡っては、以前から「問題解決」の方法としてのA級戦犯分祀論がある。だが、現在の靖国神社は、一宗教法人だ。政治が「分祀」せよと圧力をかけることは、それ自体、憲法の政教分離原則に反することになろう。
「分祀」するかどうか、あるいは「分祀」できるかできないかなど、祭祀の内容を解釈するのは、一宗教法人としての靖国神社の自由である。ただ、国内にはさまざまな宗教・宗派があり、現実に、宗教上の理由からの靖国参拝反対論も多い。
靖国神社が、神道の教義上「分祀」は不可能と言うのであれば、「問題解決」には、やはり、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない。小泉内閣の誕生した2001年、福田官房長官の私的懇談会が、戦没者の追悼のあり方について検討を進め、翌年には国立、無宗教の追悼・平和祈念施設の建設を提言する報告書をまとめている。
どのような施設にするのか、どう追悼するのかといった点で、報告書は具体性に乏しい面もあるが、早急にその内容を詰め、新しい追悼施設の建立に着手すべきだろう。
米国のアーリントン墓地には、外国の元首などがしばしば献花を行う中心施設として無名戦士の墓碑がある。国立追悼施設も、屋外施設でよい。東京都心の新宿御苑の一角に、記念碑のような追悼施設を建てればいいとの議論があるが、十分に検討に値する。
毎年、8月15日に政府が主催している全国戦没者追悼式は、従来通り東京・九段の日本武道館で行えばいい。
ただ、小泉首相が靖国参拝をやめたからといって、ただちに日中関係が改善されるわけではない。もともと、A級戦犯合祀が明らかになった後も、大平、鈴木首相の靖国神社参拝に対し、中国からの表立った異議はなかった。
異議を唱えるようになったのは、1985年に中曽根首相が「公式参拝」の形をとってからである。中曽根首相はその翌年に、中国の抗議に屈して、靖国神社への参拝を中止した。いわば中国に外交カードを与える結果になった“失政”が今日の混乱を招いた。
その後、天安門事件で共産党統治の求心力に危機感を抱いた中国は、「愛国・反日教育」の強化に転じ、年々歳々、膨大な数の反日世代を育て続けている。
4月に行われた反日デモのスローガンは、当初、日本の国連安保理常任理事国入りの問題であり、台湾問題だった。
今後の日中関係を考えるうえで、そうした中国の国内情勢も、注視していく必要がある。
(2005年6月4日1時35分 読売新聞)

だが、その後で、「やはり、無宗教の国立追悼施設を建立するしかない」と論理展開する必然性が余りにも脆弱なのだ。そもそも、戦争犯罪人は「無宗教の国立追悼施設」には入れないのだろうか? それはまた別の議論になるはずだ。しかも、この社説は、中曽根首相の86年からの支那の圧力による靖国参拝中止を「中国に外交カードを与える結果になった“失政”が今日の混乱を招いた」と非難する知性もある。
全く解釈に困ってしまう。暗喩、隠喩、マニエリスム的修辞、なんでもいいが、新聞社説にそれほどのレトリックは必要ないので、分かりやすく書いて欲しい。ただ、いずれの解釈を取るにせよ、この社説の一番の問題は、靖国に替わる追悼施設からA級戦犯を排除しなければならない説明がどこにも書かれていないことだ。つまり、無理なものは無理なのだという当たり前の前提に敢えて触れないで避けている文章だということだ。前にも書いたが、そもそも両陛下のご臨席の下、毎年行われている武道館の戦没者追悼式でも、A、B、C、各類の戦犯は追悼されている。ついでに書くと、A〜C級という表記をもうメディアは止めてくれないか? 正しく意味を伝えるにはA〜C類がふさわしい。
この辺の事情に関しては、福田逸氏のブログ「福田逸の備忘録―独断と偏見」の「A級戦犯は永久戦犯!?」という記事、荒木和博BLOGの「森岡政務官の発言について」という記事、遠藤浩一覚書の「再び言ふ、『細田サン、シツカリしてください』という記事に懇切丁寧に書かれている。
さらに、「福田逸の備忘録―独断と偏見」の6月4日の「再説、靖国と小泉」という記事も是非読んでいただきたい。
既に、資産価値は4年前と比較して、1/4程度にまで
下落しており、日本が放置しておけば崩壊すると見ています。それだけに必死なんでしょう。
単に小泉総理の言う「私的参拝」という矛盾への「皮肉」だと、
僕は受け止めましたけどね。
>>無宗教の国立追悼施設
先ず、「無宗教」の「追悼」施設とやらに突っ込む
べきではないでしょうか?「追悼」という行為は、大
元まで遡れば、「宗教的」である事を逃れる事は出来
ない、と思います。
恥ずかしいのか、あまり若い人が署名してなかったのが残念でした。60〜80歳くらいの方の名前が多かった。
(中曽根前首相は既に中共に取り込まれているような気がします)
さらに最近、中曽根前首相は、首相の靖国神社参拝の見合わせと、国会で名誉回復された人々の靖国神社からの分祀を主張していたと思います。
今回の読売の社説は、中曽根前首相の主張に合わせているように思えます。
それに、読売新聞は人権擁護法の問題点についても、貝のように沈黙していました。
その報道姿勢ゆえに、読売新聞への疑念が深まっていたので、今回の社説についても“さもありなん”といったところです。
昨晩当ブログでも記事を書きましたが、読売新聞の社説は今朝の朝日の社説と内容は違うようですが結論は同じだと思います。
中曽根の発言は首相時代の自己弁解に過ぎないといえると思いますし、中共指導部の工作に見事に乗っていると思います。
今朝の報道2001で東條さんのお孫さんにあたる由布子さんがご出演されておられましたが、分祀などはトンでもないことですね。
予算がどうのこうのおっしゃられる方がいらっしゃいます
が、そんなものはIT技術で徹底的に宗教色を排除してしま
えば(PCの画面に戦没者のプロフィールを表示するだけでよい)、
悪くても数千万程度で可能でしょう。
もちろん、A級戦犯もそこに記録されます。単なる戦士者、
またはそこに関係する事件で死亡された御霊のプロフィール
を記録させたものに過ぎないわけですから他国に
とやかく
言われる筋合いはありません。それでも文句いって
くるでしょうけどね。
そうすれば、シメたもので、A級戦犯なんて関係ないじゃないかと声を荒
げて文句をつけれるし、国内の反乱分子にも踏絵ができます。
もちろん靖国にも閣僚全員公式訪問します。
これでカードX2です。
「この問題」について、昔(2003/1/28)私が書いた文章をここに転載させてください。
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「戦没者慰霊は無宗教形式で」
という言い回しがひところマスコミを賑わした。
慰霊行為は「宗教行為」なのだが----なぜなら慰められるのは「超越的世界に実在するはずの霊」なの だから----、それを「無宗教形式で行え」などと「〈自分たちの言語感覚〉を絶えず〈詐術〉に用いてばかりいるマスコミ連」がドンドンと太鼓を打ち鳴らした。
もう一度言う。
慰霊行為そのものが「宗教行為」なのである。「無宗教の慰霊」などというものはない。これは最近でもかなり興味深い「言葉の詐術」の典型例だったはずだが、にもかかわらず、誰も「無宗教の慰霊とはなんのことだ」とは言わなかった。「誰がこんな意味不明な言い回しを思いついたのか」とは「政府サイド」からも「代議士サイド」からも出てこなかった。結局、彼らもまた「宗教が何なのか」分からなくなっているからである。
何度も言ってきたように、「宗教とは超感覚的世界を敬うために生まれた」のである。「こことは違う世界」の実在を語ることもなく、また「その世界」を敬おうとしないような思想(および行為)は「宗教」ではない。けれども、唯物論化したこの社会に生きている人々は「宗教」と「そうでないもの」の区別さえ、もはやできなくなってしまっている。だからさまざまな人間の社会行為や団体活動に対して、安易に「それは一種の宗教だ」と言えるのである。そういうときは、いつも彼らは「軽蔑」をもってそう表現するのである。多くの人が「無意識的にも知的に思い上がっている」からである(たとえば「共産主義は宗教だ」などと言うのである。多くの現代人から「言語感覚が失われてしまっている」ので、つまり真の「宗教感覚」が失われてしまっているので、自分たちが「とても変なことを言っている」という「自覚」がないのである。たとえばマルクス主義は「政治思想」なのであって「本当は宗教とはまったく違う何か」なのだということが分からなくなっているのである。)
そもそも「超感覚的世界の実在を信じられない唯物論の徒」が「なにゆえ〈自分の信じていないもの〉を慰めることができるのか」。
「戦没者の慰霊行為は既存の宗教団体の----ここでは靖国神社のことだが----〈儀礼形式〉とは異なった形式で行え」という意味なのか?
戦没者慰霊は「無宗派形式で」と言っても結果は同じである。「無宗派形式の慰霊」などというものはないのである。
〈彼ら〉の言うように「新しい土地」を確保し、「無宗教(無宗派)形式」で、彼らは「何」をするのか?
結局〈彼ら〉も「自分らであみだした宗教儀礼」を行うのである。それは「無宗教形式の行為」なのか。馬鹿 を言ってはいけない。それは「宗教行為」なのである。つまり彼らは「詐術を使って〈新しい宗教〉をこさえた のである」。「無宗教教」という「形容矛盾の呼称」を持つ「新宗教」をである。ただ「靖国に敵対するためだけに」である。
ここに「唯物論者」が「霊を慰める」という大茶番劇が出来する。
〈彼ら〉はきっと「狂っている」に違いない。
日本人のニヒリズムもここにきわまれりである。
いやあ、私のようなものでもこの朝日並みの短絡結論は「ちょと、急ぎ過ぎ」ではないかと思います。
読売は長らく無思考「反日御三家新聞」の一つでしたが、数年前にソヴィエト、東欧の崩壊等、世相の動きを見て転向した新参のボンボンです。 あそこの会長ドノの言動を見ても、到底日本の将来を深く考え、警鐘を鳴らす事など願うべくも無く、どこぞの巨大市場につられて「先祖帰り」しつつあるだけなのでしょう。
「いい加減にシナ」のおかげで、すごいメディア闘争が進行中のようです。
契約者以外にもネットで番組を視れるようにしてくれてるんですね
もっと契約者が増えて欲しいなあ
他のメディアは「誰も真面目に考えてない」と思うようになりました
真摯なメディアが1局というのでは、他にあふれてるものは、不真面目と言われても仕方ありません
中国の駐豪外交官が亡命を申請、拒否されて身の危険を感じ、保護ビザ申請中。
彼の口からオーストラリアにおける反体制派監視や連れ戻しの実態が明らかにされています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050604-00000092-mai-int
これで欧米諸国も中国の異常さに注目してくれるといいのですが。
>>>無宗教の国立追悼施設
> 先ず、「無宗教」の「追悼」施設とやらに突>っ込む
>べきではないでしょうか?「追悼」という行
>為は、大元まで遡れば、「宗教的」である事
>を逃れる事は出来
>ない、と思います。
おいおい!管理人って????
本文に書いてあるじゃないですか。
>無宗教(?!)の追悼施設などという馬鹿気たものを
申し訳ありません。
いつも思うのですが「無宗教の追悼施設」と云う単語と文章が判らない。「無宗教の擁護施設」なら判るのですが、追悼施設だから兎に角、頭を下げる場所と云う事なのでしょうか?今作って武道館の追悼行事を無理やり此処で遣りたいという事なのでしょうか?日本の為に亡くなられた方達への冒涜ではと思います、後世の人が歴史を捻じ曲げて良いのでしょうか。
142 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´
)さん 投稿日:2005/06/04(土) 12:53:34 ID:N+mrz4jo ID:N+mrz4jo
今月号の『諸君』で古田博司「終わりなき中韓「反日」ナショナリズム」での靖国問題についての解説が非常に納得できた。
中国=中華思想の国
「天子」→中華世界に天子はひとり→中華世界での国連常任理事国は中国だけであるべきだ→日本昇格反対
「正史」→正しい歴史解釈は中国が決める→日本は中国の歴史認識にあわせろ→教科書問題
「礼」→先祖に対する正しい儀礼は中国が決める→日本は中国の儀礼にあわせろ→靖国問題
参拝しなきゃすべて解決なんてアリエネー。
だって本当は中華思想が根拠なんだもん。
(ちなみに南北朝鮮は中国の劣化コピー)
韓国の大統領に謝罪する日本の首相を描いた
ものがありましたよ。
それは積極的に謝罪しましょうとの意味合いのものでした。
どの大統領かは忘れましたが
訪日時だと思います。
ドイツでは人種を理由にした殺人を、組織的、計画的に遂行した。そのような殺人を国民に指図した指導者は、人道上の責任を問われてもしかたがない。
しかし日本の指導者は、欧米列強がアジア諸国を侵略している時代に、祖国のために侵攻を支持した。現代から見ればいろいろあろうが、当時において、それは国体維持のための正義があったはず。
ドイツのような国家的計画殺人の遂行を支持した指導者と同列に語るのは絶対におかしい。
政教分離を厳密に実行しようとすれば、フランスのスカーフ事件のように、国が宗教的戒律違反を個人に強いるという状況も出来します。日本の宗教的伝統を守りつつ、個人の信仰の自由は侵さない。それでいいではありませんか。
そして東京裁判の正当性や、戦犯とされた方々の名誉回復については言うまでもありません。国会の全会一致というこの上ない民主的なやり方で既に決着がついた事実です。
それなのに…
「読売」は、思えば以前から、イラク問題や牛肉に関しては目眩がする程の媚米意見を掲載していましたっけ。
「日本人の生命と安全と名誉を守らない」気質はひょっとして前からあったのかも(泣
http://www.cnn.co.jp/world/CNN200506060003.html
シドニー(CNN) オーストラリア・シドニーの中国総領事館の外交官チェン・ヨンリン氏(37)がオーストラリアの政治亡命を求めている問題で、チェン氏は4日、反体制派の監視などのために中国のスパイは豪国内だけで1000人以上が活動していると話した。シドニーで同日開かれた、天安門事件16周年の追悼集会で明らかにした。
チェン氏は集会での演説や、豪メディアへの手紙で、自分がシドニー駐在として担当していたのは、気功集団「法輪功」をはじめ、チベット、台湾、ウイグル自治区の独立支援派など、反体制派の監視だったと話している。
憲法を基本的にドイツ人に任せ、教育基本法も維持したドイツ、憲法まで変更させられた日本、アングロサクソンの人種差別から出た、東京裁判を日本人が検証しなければいけないのに放置して、今でも「護憲」だ何て騒いでる事は、ホントは実に恥ずかしい事と未だ気が付かない。
ヒトラーを民主的に選んだドイツが責任をヒトラーだけに被せる、恥知らずな事をしているのに、今ヒトラーの所業にコメントを加え、犠牲者の為
追悼施設を作っただけで「ドイツは謝罪した」?
何処の国に戦後補償をして、商売以外にどれだけの謝罪をしたのか知りたい。
戦後すぐの話でもドイツ人からは日本よ、今度はイタリヤ抜きで一緒に遣ろうぜ、こんな話。
ドイツの周りの国と日本の周りの国の「知能指数」が不足しているから、日本は浮かばれない。近代国?未だに「中華本尊」を振り回してる国と「中華圏礼国」を自認する、共に自分の物は自分の物、人の物も自分の物、悪いのは全部相手。
中国が世界一で無いのは日本のせい、参ります。
強い国には弱い、弱い国には強い、判り易い相手なんですから、良く知りましょう。
読売のナベツネのハゲが、軍部へ何故あんなにも火病
るのかは、簡単です! ヤツは若い頃、共産主義者でした。 其れは自分でも言っています。
(まぁ、チャーチルの言葉の様に、大人に為ってからは、流石にキチガイだと気付いた様ですがw)
だが、しかし戦中は軍部によるファシズムで酷い目にあったと抜かしてる様ですが、私から言わせれば「やっぱ、コイツはバカなんだなぁw」と、嘲笑してしまいます。 大体、あの大東亜戦争の大きな要因の一つは、『日本を共産化から守る!』 というのが大前提の戦争でした。 そんな大変な時にナベツネの様な
共産主義者を跋扈させて置くような国家はあの時代の先進国では皆無です! 多分ヤツは、その当時、共産主義だったから軍部から目を付けられていたのかもしれません。 そういったナベツネ個人のバカが
体験した事を、日本の歴史全ての様に語られちゃあ堪ったもんじゃありませんw 職権乱用以外の何ものでもない! 偶々、あんなバカが増すゴミという職業に付いているだけで。 此れでは、朝日と読売の
区別はもう無いですねw
ドイツの場合、例えばユダヤ人虐殺に関して永遠に謝罪しなければならない現実的な事情がある。それは「銭」である。
ヨーロッパでは金融業や宝石商は「卑しい職業」としてもっぱらユダヤ人が経営しており(作曲家メンデルスゾーンの家も本来は銀行)、これは今でもあまり変わっていない。また、ロスチャイルドのような名高い金融系財閥もすべてユダヤで占められており、ヨーロッパの「銭」はユダヤに支配されている。
このような状態でもし、ユダヤ人に謝罪しなければどうなるだろうか。ドイツは忽ち「銭」に困窮して国家として立ち行かなくなってしまうのは必定。だから、ドイツはある意味ユダヤ人より下手に出なければならなくなった。
あと、ナベツネに関して言えば仲良しの中曽根が引退させられてからは、反小泉です。
小泉首相 「わだかまりなく追悼できる施設は検討してもいい」
細田長官 「世論の支持やその他の状況を勘案していくとの基本方針は変わっていない」
山崎 拓 「首相は否定していないが、任期中には完成しない」
武部幹事長 「陛下や外国元首が参拝できる新追悼施設が必要」
福田前官房長官 「国立の無宗教の恒久的施設が必要」
世論 5割以上の人が靖国神社に代わる新たな戦没者追悼施設は必要
もし新たな戦没者追悼施設を作ったとして、外国元首が無宗教の新施設に“参拝(笑)”する際、各個人の信じる宗教に従って慰霊するのだろうか。その時の“祭儀”は誰がどのように行うのだろうか。
黙祷で済ますのなら、わざわざ施設はいらない。慰霊のため人はどこでも祈ることは出来る。しかし慰霊を目的として恒久的な施設を作るなら、「本当に霊を慰めている」と参拝者に思わせるような信仰と祭儀が必要だ。
そうした場合「慰霊施設である以上宗教活動であり、政教分離に反する」と訴えられたら政府はどう対応するのだろう。
ありませんが、十分その意義を果たしていると
思います。
亡くなった方を偲ぶのは情緒的行為であると
思いますが、別に宗教的であるとは思いません。