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「堀内さんは中佐で、雲の上の人だったから、直接話したこともなかったんです。堀内さんがバリ島を訪れてくれることを全島民が心から望んでいます。今回は、そんなインドネシア人の気持ちを伝えることも来日の目的の一つでした」。ダマ氏はそう言って、堀内元海軍中尉の到着を心待ちにしていた。

「僕が少年兵になったのは16歳のときで、お酒の飲み方も日本の兵隊さんに教えてもらったんです」とダマ氏が言うと、集まった関係者から笑みがこぼれた。
堀内氏を待っている時、ダマ氏は終戦記念日の様子を伝える英字新聞を読んでいた。そして、私にこう話しかけてきた。
「なぜ、日本の総理大臣がこんな重要な日に靖国へ行って兵士を追悼することができないんですか? こんな異常な状態は、インドネシア人を悲しませるだけです。それでも、昨日、靖国で多くの日本人がお参りする姿を目にできて、本当に良かった」
8月20日、産経新聞に台湾の高砂義勇兵慰霊碑が再建されるという記事が掲載された。以前お伝えしたように、昨年、ネットから慰霊碑保存の動きが出て、産経新聞がその動きに呼応して実現したものだ。だが、この記事ではネットで募金が呼びかけられたことに触れていないのが非常に残念だった。

高砂義勇兵 慰霊碑、来月に着工 台湾 社団法人設立し再建立
【台北=河崎真澄】太平洋戦争に日本兵として出征した台湾先住民出身「高砂義勇兵」の戦没者を祭るため、台北郊外に建立する英霊慰霊碑の再建策が十九日までにまとまった。撤去を求められた慰霊碑の移転と再建立のため産経新聞の読者などから三千二百万円を超える義援金が集まったが、その受け皿組織として関係者は社団法人を来月五日に設立することを決めた。十一月に戦後六十年を記念し除幕式と慰霊祭を行うことにしている。
この慰霊碑は十三年前、高砂義勇兵の遺族が台北郊外の烏来郷に自力で建立したが、慰霊碑の敷地として約千平方メートルの土地を無償で提供してきた地元観光会社が、二年前の新型肺炎(SARS)流行による観光不況のあおりで倒産。新たな地権者が慰霊碑の撤去を要求してきたため、遺族らで作る建立委員会が対応策を探してきた。
その窮状を報じた昨年七月四日付の産経新聞朝刊を見た読者らが慰霊碑を守る会(発起人代表・吉川福太郎氏)を結成。産経新聞も協力して昨年十一月段階で三千三百九十八件の寄付申し出があり、総額は三千二百一万二千三百九十一円に上った。
こうした日本側の支援の動きに呼応して建立委員会の代表で烏来郷元郷長(町長)の簡福源氏らが、社団法人の「台北県烏来郷高砂義勇隊記念協会」の設立準備を進める一方、台北県から県有地の提供を受けることで交渉がまとまった。
慰霊碑を守る会と産経新聞では、総統府前国策顧問で台湾独立建国連盟主席の黄昭堂氏が理事長を務める「現代文化基金会」に台湾における義援金の管理を委託。基金会が会計監査する形で社団法人の「記念協会」に支援を行うことを決め、黄理事長と簡代表は、慰霊碑再建についての支援計画で覚書を交わした。
前総統の李登輝氏が揮毫(きごう)した「霊安故郷(霊魂は故郷に眠る)」と碑文が記された高さ約三メートルの慰霊碑は、台北県烏来風景特定区「瀑布公園」の県有地約千平方メートルで来月から建設が始まる。作業が順調に進めば、除幕式と慰霊祭は十三年前に慰霊碑を建立した周麗梅氏(故人)の命日にあたる十一月十九日に行う予定だ。また、高砂義勇兵の記録や遺品を展示する記念館の併設も将来的に検討する。
記念協会の代表に就任する簡氏は、「高砂義勇兵慰霊碑にかくも多くの日本人が関心を寄せ、義援金を送ってくれたことに深く感謝している」とした上で、「さらに多くの日本人に、太平洋戦争で日本のために志願して戦い散っていった高砂族がいた歴史を忘れないでほしい」と話している。
■高砂義勇兵 日本統治下の台湾で「高砂挺身報国隊」「陸軍特別志願兵」「高砂義勇隊」などとして太平洋戦争に出征した「高砂(たかさご)族」と呼ばれたマレー・ポリネシア系の台湾先住民の総称。総数は6000人とも8000人ともいわれる。血書志願するなど忠誠心が強い上、山地生活の知恵から南洋のジャングル行軍では先頭に立って道を開き、迫撃戦でも力を発揮した。半数以上が戦死したとみられるが、生還しても戦後は日本国籍を失ったため、遺族を含め十分な補償や恩給を得られていない。
【2005/08/20 東京朝刊から】
今日は、この後、複数の記事をポストします。
諦めていたわけじゃないけど。
2週間以上同じページを開いてたら見慣れちゃって
更新されると驚いてしまった。